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埔心郷の羅厝教会堂-1
2007-10-26 11:20:00
2007-10-26 11:21:00
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葉南顯
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  1875年の春、彰化の埔心郷に住んでいる商人の涂心様は、ずっと台湾の中と南部に往復して商売をしていて、一回に高雄の教会堂で神父が教義を解説することを聞いて、心の中はたいへん感動されました!埔心郷に帰って来て友達に説明あげて、そのときに神父を招聘して埔心に来て布教することを考えました、このすばらしい出会うことが意外に羅厝教会堂の百年以上の歴史を展開させました、清朝、日本の植民地時代、国民政府の三つの時代を経て、沢山のことが発生して、今の時代に変わってきても、米国の田舎式の教会堂は依然としてたくさんの貴重な文化財を保留して、環境は静謐で心地良いです。教会堂の鐘の音が鳴り響く時に、めでたくて落ち着いて、心が沈殿されます。幸せな福音は依然として深く人の心に植えています!

《初めての教会堂》
●彰化県の初めてのプール
  水泳は夏の日に暑気を払う最も良い場所です。彰化の一番目のプールは西元1969年に郭桂信神父から提案して羅厝教会堂で建設しました。近くの年取った住民によって、今なおすべての記憶がまた生々しくて、昔の夏にここで多くの楽しみの時間を過ごしました。

●中部の初めての孤児院
  1875年に埔心郷の羅厝教会堂が布教し始めた後に、呉万福神父はすぐ教会堂の側に孤児院を創立して、これは中部の一番早い建てた孤児院です。教会は布教、医療、知識の啓蒙に対して大きい貢献を与えたことを除いて、赤いれんがで建てた孤児院は、更にその時捨てられた孤児の重要な拠り所です。 

●台湾の初めての西洋楽団―「シソミ」
  1911年に、陳若瑟神父が羅厝で台湾の一番目の西洋楽団―「シソミ」を創立しました。そのときに楽団はただ布教する事業をうまく行うためだけですが、結局後で結婚の披露の宴と葬式の行うときの不可欠なことになって、常に地方の活動の出演にも参加させられて、最初に無料で、後から次第にの商業化になって、楽団も制服があって、近代的な楽団の様子になって、国民政府の時期に、経済が発達した後に、田舎の子供もすべて都市へ発展しに行って、楽団も次第に衰微してしまいます。

● 台湾のカトリック教の初めての印刷機
  紙類の印刷を発明してから、知識を広めさせることが大幅に進んでいきます。1905年に、馬守仁神父がフィリピンの尼拉多瑪斯大学から、一番目のローマ字の印刷機を導入して、教会の書籍を印刷しました。あるのはローマ字だけで、あるのはローマ字と漢字が並べて、教会の福音を布教する重要な読みやすい、理解しやすい資料を提供しました。それ以外に馬神父も羅厝教会堂で台湾の始めての「布教学校」(今の文化財展示館)を創立して、よく布教人員を育成しました。

● 初めての台湾籍の神父 涂敏正神父と彼の家族が教会堂を見守っています
1875年に埔心村の人の涂心様が、一度に南部ですばらしい出会うことで、意外にこの羅厝教会堂の歴史を展開させました、彼の孫の涂敏正様がこの敬虔な家庭の影響を受けて、教職の経験を鍛練して学業を完成して、三十才のとき(1936年)に、馬司教の手の中からライセンスを頂いて神父に昇進して、初めての台湾籍の神父になりました。後で涂神父が他の教会堂に転任しに行って、ずっと羅厝に帰っていないので、この教会堂を見守る願いは彼の親戚が実現するようにしました!実は涂神父の一人の兄弟の息子が子供のときから員林の黄氏の家族に養嗣子として行かせられて、彼の息子の黄清富神父は1991年に羅厝教会堂へ派遣されてきて、涂神父の達成できない願いを実現しました。

● 天神の時計
  文化財室の保存している金、銀、銅、鉄、玉、鉎、鉛、錫などの金属で作った天神の時計は、西元1882年から1973年までずっとこの教会堂の上の時計台に掛かっていました。天神の時計の音が軽快で響いて、この音を聞いた信者がいずれもすぐ立てて祈祷をして、毎日の午前6時、正午12時、夕方6時にこの音が時間どおりに響いて、これでも羅厝の住民の生活と密接な関係に繋がって、そのために天神の時計も住民と深い感情を作りました。

写真の1:彰化の埔心郷の百年の羅厝教会堂は、台湾の百の歴史建物の一つです。
写真の2:台湾の初めての布教学校は教会堂の内に設けていました。
写真の3:羅厝教会堂の始めての台湾籍の神父の涂敏正神父
【文章/写真 大台湾旅行ネットTTNewsの記者 江柏樟】

上記の内容は下記の中国文の文章を翻訳したものです、もしもその中で何が間違いがありました場合は中国文の解釈を基準と致します。

  一八七五的春天,住在彰化埔心鄉的商人涂心,往返中南部,於高雄教會聽了神父講解教義,內心非常感動!回來埔心鄉於朋友分享,興起請神父來埔心傳教,這場美好的邂逅,意外開啟羅厝百年教堂歷史,經歷清領、日治、國民政府三個朝代,發生大大小小的故事,如今物換星移,美國鄉村式教堂仍保留許多珍貴文物,環境靜謐而舒適。當教堂鐘聲響起,祥和而平靜,沈澱心靈。幸福的福音仍深植人心!

《第一的教堂》
●彰化縣第一座游泳池
  游泳是夏日消暑最佳玩耍與最佳選擇。彰化第一座游泳池於西元1969年由郭桂信神父建議而於羅厝天主堂興建。附近年紀稍長的居民,都記憶猶新,夏天在這裡渡過很多快樂時光。

●中部第一孤兒院
  1875年埔心鄉羅厝教堂開教後,吳萬福神父即於教堂旁成立了孤兒院,這是中部最早出現的孤兒院。教會除了傳教、醫療、知識的啟蒙對地方都相當的貢獻,而紅磚牆的孤兒院,更是當時被遺棄的孤兒的重要依託。 

●台灣第一支西樂隊—西梭米
  1911年,陳若瑟神父在羅厝成立台灣第一支西樂隊—西梭米。當初樂隊只為了傳教事業進行,卻成為婚喪喜慶不可或缺的要角,也常為地方性的活動表演,起先為免費的,後來逐漸的商業化,樂隊也有一致的制服,有現代的樂隊的規模,國民政府時期,經濟發達後,鄉下的小孩都往都市發展,樂隊也逐漸式微。

●台灣天主教第一台印刷機
  紙類印刷發明,使得知識傳播日益千里。1905年,馬守仁神父從菲律賓尼拉多瑪斯大學,引進第一台的羅馬字印刷機,印了教會的書籍。有的是白話(羅馬字),有的是白話與漢字並行,為教會的福音傳教提供重要易讀容易瞭解資料。此外馬神父也於羅厝教堂成立台灣第一所「傳道學校」(現為文物展示館),造就了不少傳道人員。

●首位台灣籍神父 ‧涂敏正神父與涂家守護著教堂
一八七五年埔心鄉民涂心,一場於南部美麗邂逅,不經意的開啟羅厝教堂的歷史,其孫涂敏正受事主虔誠家庭的薰陶,歷經教職的歷練與完成學業,三十年那年(一九三六年),光榮地從馬主教手中領受鐸品晉陞神父,成為台籍的第一位神父。後來吳神父轉至它地服務,一直沒有再回到羅厝教堂,但這個心願卻讓自己的親人幫他實現!涂神父有一兄弟的兒子,自幼過寄給員林的黃家,其子黃清富神父於一九九一年奉派來羅厝服務,實現吳神父時代阻隔的心願。

●天神鐘
  在文物室保存的金、銀、銅、鐵、玉、鉎、鉛、錫等金屬打造而成的天神鐘,從西元1882年開始,就掛在第一座教堂頂鐘樓上,直到西元1973年才卸下。天神鐘發出的聲音清脆響亮而充滿祥和,聽到終生的教友都會佇立而祈禱,固定每天的早晨六點、中午十二點、傍晚六點,按時敲打發聲,也羅厝居民生活作息,息息相關,因此天神鐘也與居民建立深厚情感。
              
【圖一】彰化埔心鄉百年的羅厝教堂,台灣歷史建築百景之一。
【圖二】台灣第一所傳到學校位於羅厝教堂內。
【圖三】羅厝教堂第一位台籍神父涂敏正
(撰文/攝影  TTnews記者江柏樟)
2007-10-26 11:20:00
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